〜「今のうちにやりたいことをやっておかないと気がついたら病院のベッドの上ですよ」〜

長い間やっていなかったスキーを再びやり始めたのはちょっとしたきっかけだった。
我々の歳は1970年代後半から始まったスキーブームど真ん中世代で、1981年に始まったユーミンの苗場ライブは毎年プラチナチケットになり、1987年公開の「私をスキーに連れてって」も大ヒットだった。苗場や映画の舞台にもなった志賀高原をはじめとする全国のスキー場はどこもかしこも大混雑で、あの当時の感覚としてはスキーをしない人は周りにほとんどいなかったんじゃないかというくらいだった。実際、私も中学生から大学生までは毎年何回もスキーに行っていたくらいだから結構夢中になってやっていた気もするが、ただやはりみんなが行くからおれも行くというレベル以上にはならず、仕事が忙しくなるにつれ30歳になる頃には次第に行かなくなってしまっていた。
それが再びスキーをすることになったのは2001年、39歳の時だった。当時の私は勤めていた大学を36歳で退職し、実家へ戻り父の歯科医院で一緒に仕事をし始めて約3年、特に何も趣味は無く運動もしない、ただただ仕事に追われる毎日だった。ところがある日、小学生になった娘が水泳を習っていた体育スクールの先生に、冬休みにスキー合宿をやってるので来ませんか、と誘われたため参加させることになった。その合宿は本当は小学生から高校生までの子供達のためのスキー合宿だったから親の参加はできないのだけど、校長(社長)のT先生はおおらかで、あまりルールや慣例にしばられない人だったためか、ひょんなことから私も一緒についていくことになったのだった。
そうして年末の忙しい時期に4日間も休みを取り、妙高高原でのスキー合宿に特別枠(要するにオミソだ)で参加した。早朝の東京駅に集合し、子供達60人位をスタッフ8人程で引率し、大勢の親達が見送る中新幹線で出発した。周りを行き交うのはスーツを着た会社員ばかりで、なんとなく後ろめたくもあり小恥ずかしく、かつワクワクしていたのを覚えている。そしてそれからの4日間が自分の人生を大きく変えることになるとは思いもしなかった。
スキー場に着くと子供達はそれぞれ技術班に分かれてレッスンが始まったが、私は「適当にその辺で滑ってますので」と言って久しぶりのスキーに少し緊張してひとり恐恐滑っていた。その腰の引けた滑りを見ていたのか、その日の消灯後のスタッフミーティングの時に1班の担当のS先生から「岩﨑さん、スキー久しぶりなんでしょう?少し昔の滑り方をされてるようなので、もし良かったら明日から1班で一緒に滑りませんか?」と誘われた。いやいや、子供達もいきなりこんなおっさんが入ったら迷惑だろうと思ったのだが前述のT先生も、「それはいいね、面白いかも。子供達と一緒でも良かったらどうぞ」と言われ翌日からお世話になることになった。
その合宿では1班の子達は最も上級者で、上は高校2年生から下は小学校6年生まで6,7人いたのだが、小学生の女の子までいるのだからまあ、大丈夫だろうと高を括っていたらとんでもなかった。彼らは皆、小学1年生頃からこの合宿に毎年来ていて、初心者班から始めて段々上手くなって1班に入ってきた精鋭揃い。当時の私から見るととてつもなく上手く、そして速かった。私はレッスンについて行くのがやっとで明らかに一番下手だったが、彼らはそれを迷惑がらずとても仲良く接してくれた。それからの3日間S先生は私にもとても丁寧に指導してくれて、夜も消灯後に廊下で身体の動かし方や重心移動など、マンツーマンで懇切丁寧に教えていただいた結果、私は少しずつカービングスキーに適応した新しいスキー操作に慣れていった。スキー場は雪がたっぷりあり、幸い晴天続きでとても気持ちが良かった。久しくこんな休みは取ってなかったし、スキーだけでなく子供達とのゲーム大会も、温泉も、美味しい食事も、お酒を飲みながらの先生方とのスキー談義も本当に楽しかった。そしてこの4日間の合宿で私は再びスキーの魅力に気づき、取り憑かれたと言っていい。
あれから20年以上が経つ。
私はその後なんとか資格を取り、今はT先生率いるその体育スクールのスキー合宿でスタッフとしてお手伝いをしている。2019年に一緒に仕事をしていた父が亡くなってからは冬も春もというわけにはいかないが、仕事をやりくりして休みを取り、子供達と過ごす年末の4日間は私にとってとても大切で貴重な時間となっている。そしてシーズン中にはプライベートで北海道や東北地方、甲信越と色々な所でスキーを楽しんでいる。特にバックカントリーに入り、静寂に包まれた森の中で雪の上に立ち、ふかふかのパウダースノーを滑り降りる時、本当に生きていて良かったと思う。
私をここに連れてきてくれた数多くの先生方や仲間に感謝したい。
そして「今のうちにやりたいことをやっておかないと、気がついたら病院のベッドの上ですよ」と言ってくれた後輩のA君にも。

岩﨑直弥