ICU高校一期生「このクラブ始めます!」

新沢としひこ(シンガーソングライター)

  ICU高校の一期生の春は騒々しいものだった。何しろ新しい学校なのだ。決まっているものはまだ何も無い。何をして良いのかも分からないけれども、何でもやっていいような気もする。僕はワクワクもしながら、フワフワした浮き足だったような気持ちだった。今から思うと、学校全体にそのような空気があったかもしれない。先生達も新しい学校で、意欲的でもあり、みんなでソワソワしているような、そんな不思議な感じだった。 

 何も無いということは、全部自分たちで作るということだった。ある時、「クラブ活動を始めたい人は、職員室の前の掲示板で部員を募集をしましょう」という情報が回ってきた。僕は高校生活で、どのようなクラブ活動をしようかと、期待に胸をふくらませていたので、すぐに掲示板に飛んでいった。

 すでにいくつかのスポーツ系のクラブが貼られていた。所定の用紙があり、発起人がクラブ名を書いて部員を募集する形式になっていた。ああ、自分も何かクラブを始めたい!よし考えよう。

 僕は自分の教室に戻り考えた。僕は小学5年の時は演劇部、6年の時は美術部、中学一年の時は文芸部、二年の時は陸上部だった。どれも好きだったけれど、どれも続かず、1年ごとに変えたりしていた。演劇部や陸上部を自分が中心になって立ち上げる気にはならなかった。美術部もなあ。よし、文芸部だ。文芸部なんて、誰も作らないだろう。僕は決心して、掲示板に向かった。

 するとなんということだろう。もう隣のクラスのO君が文芸部を立ち上げていたではないか。ほんのちょっと躊躇している間に。とても悔しかったけれども、僕はO君が貼ったその紙に、一人目の部員として名前を書いた。

 しかし、そのことが僕の心に何か火をつけてしまった。僕も何か始めたい!自分がやりたいことを、自分で始める。そのことがとても魅力的に思えたのだ。

 掲示板にはたくさんの紙が貼られていた。「テニス部」「サッカー部」「バスケ部」「バレー部」「野球部」などの運動部。「演劇部」「美術部」「放送研究会」「ロック部」などの文化部。あふれるように紙が貼られていた。どの掲示にも、これからやりたい夢がたくさんつまっているように見えた。ああ、僕は何をやればいいんだろう。しかし、それはもう思いつかなかったので、とりあえず、やってみたいクラブにどんどん名前を書いてしまった。

「美術部」に「演劇部」に「放送研究会」に「陸上部」にと、調子に乗って、とにかくどんどん入部してしまった。自分のスケジュールなど全然考えずに。

「ロック部か、そうか」僕は音楽も好きだったけれど、やりたい音楽はロックではなかったので「そうだフォークソング同好会を作ろう」そしてとうとう自分で「フォークソング同好会」も代表になって立ち上げてしまった。

 そして僕は一度に六つのクラブ活動に入部した。そしてどうなったか。すぐに破綻した。

 クラブ活動を成立させるために、友人同士の勧誘合戦が始まり、「とにかく、名簿に名前だけ書いてよ」という事態が勃発し、名前だけの部員が大量に発生。そしてクラブの掛け持ちは当たり前。何の規制も無かったので、僕のように6つ入るとか、そんな人も大勢現れた。そのような状態でクラブ活動が正常に行われるはずもなく、あっという間に「クラブ活動は三つまで」という決まりが作られた。今思えば三つだって充分多いが、当時はみんな「えー、三つまで?」などと不平を言っていたものだ。

 結局僕は「文芸部」と「フォークソング同好会」と「放送研究部」だけを残した。それでも文化祭では美術部の展示に臨時で参加させて貰って絵を描いたり、演劇部の発表にちょっとだけ客演したり、昼休みに「賛美歌を歌う会」とか「聖書研究会」とかクラブ活動とは別の集まりに参加したり、と、もうやりたい放題で、さまざまな活動をしていた。

 生徒会が始まった時には、早速立候補して、初代の書記になったりした。

 つまり僕は、とにかくなんでもやってみたかったのだ。

 一番最初、なんの規制もなく、クラブ活動をやってみたい人は自分で何でも始めて良いですよ、という状況を作ってもらったことにより、そうなんだ、自分がやりたいことは何でもやっていいんだ、というゴーサインが自分自身に出てしまったのだった。

 結局、クラブは三つまでになったりするわけなのだが、それでもICU高校時代に、やりたかったらやる、という精神は培われてしまった。もともとが、何にでも興味がある、そういう気質だったのだろう。それがICU高校一期生というステージに上がって開花してしまったのだ。

 僕は今、歌を作って歌ったり、人前で話をしたりする仕事をしている。自分がやりたいクラブ名を書いて掲示板に貼る、そのことから始まって、僕は自分がやりたいことを押さえることなく、躊躇無くやり続けて、結局こんな事になってしまったというわけだ。それはとても自分らしく、そうだよな、こういう風にしか生きられなかったよな、と思うのだ。

 ICU高校の一期生で無ければ、きっと全然違う人生だったに違いない。そしてICU高校の一期生で良かったんだな、と思うのだった。