まさか自分に回ってくるとは思わなかったエッセイリレー。光栄にも大貫くんからバトンを受け取りました石川(竹村)牧子akaリビングです。高校時代はあまり話す機会のなかった大貫くんが何故私にバトンを回してくれたかというと、大貫くんのジョギングコースと私のジョギングコースが被るご縁?からです。

 大貫くんにバトンを渡した岡野(荒沢)実和子ちゃんは高校時代にサッカー部のマネージャーをされて、その後、母になってからフットサルを楽しむようになったそうですが、私も高校時代は陸上部のマネージャーでした。300mトラックの(何故あの広大な土地にあえて300mトラックなのか未だに謎)グラウンドに立ち、サッカー部がトラックに侵入しようものなら、「コースお願いしまーす!」と大声で叫んでいたことを懐かしく思い出します。

 そもそも何故、選手ではなくてマネージャーになったのか。それは、私はもともと運動が大の苦手だからです。アメリカの中学ではブラスバンド部だったので、高校では文化系ではなくて運動部に入りたい、でも自分で運動するのは嫌だからマネージャーならラクかな、しかも陸上部なら屋外で気持ち良さそうだし…というとても安易な理由で入部しました。自分はたいして走れないくせに、選手にはもっと腕を振れだの、ラストスパートかけろだの、随分偉そうなマネージャーだったかと思います。相棒のミーコはとても優しいマネージャーだったのに、私はたまに不機嫌になってキレる面倒なマネージャーでもありました。

 そんな幼かった私も大人になると、めでたく苦手な体育の授業から解放され、運動会も参加する側から保護者側にまわりました。二人の子供たちには私の運動音痴は遺伝せず、人並みの運動神経をもって産まれてきたことにほっと胸をなでおろしたものです。

 子どもたちに手が掛からなくなり、幼児教室のアルバイトに日々勤しんでいた頃、急に体調に異変がありました。今思えばストレス由来の強烈な肩こりだったのでしょう。何日も続く頭痛、倦怠感、腕のだるさ、痺れ、冷感、などの不調にQOLが低下し落ち込む日々が続きました。アルバイトも休まざるを得なくなりました。超楽観的な主人には「運動不足だろ。毎日散歩すれば?」と何度も言われましたが、なかなかその気力も出ず…。とは言え、家でダラダラすればするほど体調は悪化するので、まずは徒歩15分程の多摩川河川敷まで毎日歩くことにしました。この街に6年も住みながらも、まともに多摩川沿いを歩いたこともなかった私には、河川敷の空気は新鮮そのものでした。

 往復30分の散歩はそのうち一万歩のウォーキングに発展し、すこし体力がついた頃に走ってみようかな、とふと思い、一曲分走って一曲分歩く、を繰り返すようになりました。そして散歩開始から数ヶ月後には、ある程度の距離を続けて走れるようになっていたのです。悩まされていた頭痛も肩こりも解消し、高めだった血圧は下がり、貧血が治りました。悔しいけれど超楽観主義の主人のアドバイスは的確だったようです。

 この夏でジョギングを始めて丸6年が経ちました。走り始める前には気付かなかった河川敷の四季は、季節が何度巡っても飽きさせることなく私を癒やし続けます。水面に映る青空、冬の終わりに咲くオオイヌノフグリやスミレ、キャノン本社前の見事な桜並木、夏の訪れを告げるツバメ、晩夏の夕焼け空、真冬の澄み切った空に映える富士山…。ジョギングは週2、3回のペースで細々と続けています。タイムもたいして上がってないし、レースに出る予定もありません。目標は継続のみ。

 運動がしたくなくて陸部のマネージャーになった私がまさか、約30年の時を経て走る側に回るとは自分でも予想がつきませんでした。高校からの友人たちもまさかリビングが…と驚いていることでしょう。こんな私でも走れるのですから、ジョギングは誰にでも出来るスポーツです。

 私たち11期もそろそろ五十路に突入です。なんとなく不調に悩まされてる方がいらしたら、まずはご近所のお散歩から始めてみてはいかがでしょう。そのうちお散歩がウォーキングになり、ジョギングになり、下手したら大貫くんとトレランに出かけるようなるかもしれませんよ。