的場真木です。松木美砂子ちゃんからバトンを受け取りました。
美砂子はICUHSで初めて話したクラスメイトです。なぜなら、50音順で、「まつき」の次が「まとば」だったからで、入学式の列に並びながら自然と会話したように思います。のちに、美砂子がベース、私がドラムで一緒に演奏することになろうとは思ってもみませんでした。
私は当時、吉祥寺に住んでおり、「近いから」というただそれだけの理由でICUHSを受験した一般生でした。この学校では、帰国生がマジョリティで、一般生はマイノリティというのも、入学してから知ったというような状況でした。宗教的なバックボーンのない家庭で育ち、入学式が人生初の礼拝でしたが、ICUHSでの学びが私の人生の基軸を作り、人生の礎となります。高校時代の私にはそこまで理解が及ばず、ただただ必死に毎日を過ごしていたように思います。
ICUHSの教育の中核は、言うまでもなく、キリスト教教育です。有馬先生のキリガイから多くのことを学び、考え、悩んだ3年間でした。卒業後も、このキリガイの学びと問いは私の中で幾度も反復され続けることとなります。中年となった今でも、書籍「キリガイ: ICU高校生のキリスト教概論名(迷)言集」を読んで、復習しております。
もうお一人、導いてくださったのが中西先生です。様々なボランティア情報を提示してくださり、そこから私のボランティア人生、福祉人生がスタートしていきます。中西先生に御礼を申し上げることをしないまま卒業してしまったように思います。この場を借りて、30年遅れとなりますが、感謝申し上げます。
手話を学び始めたのは高2の頃で、これは学外で学習していましたが、現在の聴覚障害者福祉の仕事につながっています。手話通訳をしたり、相談支援をしたり、聴覚障害者対象の講座を開催したり、手話を学ぶ方々に向けた講義を行ったりしています。生まれつきの聴覚障害者は音声日本語の習得に困難を来すため、手話が母語となりますが、少なくない方々がアイデンティティの形成に苦労されているのを目の当たりにして来ました。日本人でありながら日本語に苦労しているのです。社会の中では、言語的マイノリティです。日本語に苦労していたICUHSの帰国生(F)に通じるものがあり、ICUHSではマイノリティであった私(英語しゃべれない)にも通じるものがあります。この仕事は、私の天職だと思っております。「キリガイ」でも、職業とは何か考える講義がありました。
手話の学習やボランティア活動以外にも、器楽部、ロック部、アルバイト、吉祥寺音楽祭のコンクール、クリスチャンウイークで外部から人を呼ぶなど・・・いろいろと自由にやらせてもらっていました。美砂子のエッセイによると、FORUMに寄稿していたりもしたようです。
もう一つ、何故かやっていた活動で、手作り紙芝居というのがありました。特に部活というわけではなかったのですが、手作りの紙芝居(手伝ってくださった方々、ありがとうございました)をICUHSの近所のお子さん向けにやったのです。マロン先生が読み手を引き受けてくださいました(プロの声優さんにタダでお願いしてしまった)。子供たちは誰が集めてくれたのでしょうか・・・あれはクリスマス会だったのか・・・記憶がつながっておりませんが、すごく嬉しかったのを覚えています。
現在、プライベートでは、中学生の息子たち(双子)と、カトリック中原教会のボーイスカウトで活動しており、イースター礼拝の日には卵を大量に茹でたりしています。
ICUHSで人生の基礎を作ることが出来たこと、感謝しかありません。学費の面では両親に大きな負担をかけてしまいました。少額ではありますが、ICU高校サポート募金の喜吉フォワードに寄付させていただきました(これからもします)。
さて、次にバトンを渡すのは畑中くんです。新しいギターを開発されているそうです。乞うご期待!
