先日、後頭部に「粉瘤」というなにやら恐ろし気な字体の腫物が出来て、近所の公立病院に通うことになった。初診は町医者からの紹介状を携えて朝一午前八時半の受付に並び診察を受けることになったのだが、周囲を見渡し「年寄り」ばかりだなぁと独り言ちたのだが、「まてよ、そういう自分も還暦前の年寄りじゃないか」とハタと膝を打った経験があった。苦笑いである。
紅顔の美少年だった18歳の自分も還暦目前になり、ICUHSの広大なキャンパスで過ごした日々から随分遠くへきたものである。
生き物が好きでその系統のテレビや本をよく見分する。ある時「生き物は毎日同じルーティンをこなし安心を得て生きている」という解説が心に留まった。確かに、我が家の飼い猫も朝同じ時間に起こしに来て、朝ご飯を食べたのち家内パトロールを済ませ昼寝をし、夕方晩御飯を催促し食後の運動もそこそこに眠る。日々同じことの繰り返し、家猫なので何か特別なことが起きることはまずない。毎日同じで飽きないのかと以前は思っていたが、それが彼らの安心に繋がっていると思うと何とも言えず微笑ましい。
若いころ、何か特別なことが無いだろうかと日々過ごしていた気がする。仕事やプライベートで国内・海外へ頻繁に出向き、昼夜を問わず働き、夜は公私含めて午前様、確かに刺激的な毎日を過ごしていたし、望んでいた。勿論、時世が「いけいけ」の風潮であったし、体力も無限にあったと思う。
近年、想像を凌駕する出来事が多発し、日常が確実にギアチェンジしている世の中に於いて、まだまだ対応可能と思っている自分でも、戸惑うことが多い気がする。まさに、ディランが唄うところの「The Times They are A-Changin’」である。
ベランダに鉢植えを2つ置いている。数年前に下北沢の花屋で購入したエリカとローズマリー。大き目の鉢に植え替えて愛でている。毎朝起きるとベランダで煙草を一服して座椅子に腰掛け鉢植えを眺め、植木鋏で剪定したりしなかったり。遠い昔に見た祖父の日課を思い出すが、不思議なことに、毎朝眺めていると昨日伸びていなかった枝や葉が分かるようになる。毎日飽きもせず植木の手入れをしているなぁと思いながら見ていた祖父の背中のわけがこの歳になって分かってきた気がする、今日この頃である。歳をとることも悪くはない。
“何か起きる毎日よりも何も起きない毎日を大切に”